大阪地方裁判所 昭和28年(行)20号 判決 1956年11月17日
原告 泥谷産業株式会社
被告 労働保険審査会
主文
被告が原告に対して昭和二十八年一月三十日附でなした訴外亡泥谷甚太郎の災害補償の保険給付の請求を認めない旨の決定を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は主文第一項同旨の判決を求めその請求原因として「被告は原告に対し昭和二十八年一月三十日附原告が訴外亡泥谷甚太郎の業務上死亡による保険給付の請求を認めない旨の決定をなしたが右は次にのべる通り被告の認定の誤りであるから取消さるべきである。即ち、訴外亡泥谷甚太郎(以下甚太郎と称す)は原告会社の取締役で且つ本店勤務の現場監督をしていたものであるが同二十五年九月三日ジエーン台風襲来当時現場監督として船舶の避難作業に従事中折柄乗船の沈没により死亡するに至つたものである。そこで原告は甚太郎の遺族の委任を受けて遺族補償費五十五万円及び葬祭料三万円合計金五十八万円の支給を浪速港労働基準監督署に求めたところ容れられなかつたので大阪労働基準局保険審査官に審査を請求した。ところが同審査官野中武祥は同二十六年八月十六日請求人の請求は認めないとの決定をした。そこで原告は同年十一月二十六日被告に右決定は不服であるとして審査の請求をしたところ被告は原告に対し同二十八年一月三十日附甚太郎の災害補償の保険給付を認めないとの決定をした。右決定の要旨とするところは甚太郎が当時原告会社の取締役であつたのでかかる場合は取締役に選任した当該会社がその取締役の災害につき危険を負担すべきであり又これを以て足るというにある。原告はもと泥谷礦油店と称し訴外泥谷英吉の個人商店であつたが昭和十年七月礦油、船具、塗料の販売並に運輸業、曳航業及び沿岸荷役作業を目的として会社組織に改められ株式会社泥谷礦油店となり、その後同十八年八月十八日泥谷産業株式会社に商号が変更された。甚太郎は大正十一年三月一日泥谷礦油店主英吉に被傭されその後会社組織になつてからも同様引続き勤務していたが、右英吉と親戚であつた関係上名義株九百株の貸与をうけて監査役に就任し同二十三年十二月十八日右監査役を辞任し同様名義上の取締役に就任し原告の現場監督の業務を担当していたところ前記の如く災害に遭つて死亡するに至つたものである。
甚太郎は右のように日常の業務は現場監督であつて俸給も一箇月金一万四千百円であり取締役として何等別個に手当賞与も支給されて居らず出勤時は一般労務者と同様タイム・レコーダーによつて記録されていた。即ち甚太郎は長年勤続の叙勲の意味で名義上の株主になり取締役に就任していたものであり、原告はいわば同族会社であるから甚太郎の地位も原告個人商店時代より引続き現場の業務を担当していたにとどまるのである。従つて労災保険における給付をうけるべき労働者と何等異るところはないのである。」とのべ
被告の主張に対して
「一、被告の本案前の抗弁に対し被告は本件訴訟において原告は訴提起の利益を欠き従つて当事者たる適格がないと主張するが、労働基準法第八十四条(以下労基法と称す)によれば労働者災害補償保険法(以下労災法と称す)による保険給付がない場合、或はそれがたりない場合は使用者はこれに対して補償の責任を負わなければならないから、使用者である原告は被告の本件決定に対しては直接の利害関係があるというべく従つて本件訴訟を提起する適格があるものというべきである。
二、被告は決定において労働基準法上の使用者概念は相当広く且つ使用者にして同時に労働者たる者のあることは予想しうるところであるとしながら、このことからたやすく取締役たる使用者が同会社内において労働者たりうるとの結論に急ぐのは大いなる飛躍を敢てするものといわねばならないと主張する。その主張のように成程A・B・Cの三者が共同出資の小企業の場合、労災保険を貰えないのにA・B・Cが株式会社組織をとり取締役であると同時に労働者でありうる場合には労災保険を貰えるというのは明らかに(都合のよいときは取締役として利益に均霑しながら他面労災保険についてその保護をうけようとするごとき)権衡を失することであろう。しかしいやしくも取締役の名をもつているものが常にその利益に均霑しているものとはかぎらない。
名のみ取締役であつて実質は労働者の場合もありうる。換言すれば同一人が同一株式会社から受取る収入につき取締役としての報酬と労働者としての報酬の割合如何が問題である。そしてこのうち特に名のみ取締役の者について言えばこの者に労災保険を給付するというのは少しも信義に反しない。むしろ、公平に合致するものである」とのべた。(証拠省略)
被告訴訟代理人は本案前の答弁として「原告の訴を却下する」旨、本案の答弁として「原告の請求を棄却する」旨の判決を求め、本案前の抗弁として「原告は本訴を請求すべき適格を有しないから、これを却下すべきものである。即ち、およそ行政庁の違法な処分の取消を求める訴の原告たるべき者は自己の有する権利を侵害せられたと主張する者でなければならない。したがつて本件処分の違法を主張する者は甚太郎の遺族であつても、原告であり得ない。原告は本件訴訟を提起する適格を欠き本訴はこの点において却下を免れない。」とのべ本案の答弁として「一、原告主張の事実中、その主張の日時に大阪基準局保険審査官において甚太郎の死亡による保険給付の請求を認めない旨の決定をなしたところ原告はこれに不服として、同二十六年十一月二十六日審査の請求をなした。ところが被告において同二十八年一月三十日附その主張のように災害補償の保険給付を認めないとの決定をしたこと、及び、原告会社がその主張のような目的の会社で甚太郎がその日時にそれぞれ原告の監査役、取締役に就任し同二十五年九月三日ジヱーン台風下に業務に従事中死亡したことはそれぞれ認めるがその他は不知である。
原告の被告に対する審査請求は次のように不当な点があるので却下した。すなわち一、株式会社の取締役たる地位を有する者が同時に当該会社の労働者たる地位を併有することはできない。旧商法(昭和二十六年度六月三十日まで施行の商法を指す。)にあつては会社の機関として取締役が各自代表権を持つと同時にその業務執行権を持つから、会社の取締役が同時に課長、部長、工場長、支店長の地位を有するものは取締役の執行権は後者の地位にもとづく業務に属するものとみるべきである。仮りに本来有する後者の業務が前者の執行権の一部に属しないとしても、会社との特別の委任関係にもとづき業務執行の延長ないし補充としてなす事務と解すべきである。このことは単に課長、部長、工場長、支店長のみの地位を有した者がその後に取締役の地位を併有するに至つた場合も同様である。この場合当初における課長、部長、工場長、支店長等の労務は会社との雇傭ないし労働契約に基くものであり従つてこれ等の者は純然たる労働者であるがこれ等の者が執行機関たる取締役の地位を有するや直ちに従前の使用従属関係は遮断されこの雇傭ないし労働関係は取締役と会社間の委任関係に吸収されるに至るものと考えられるからである。
二、次に労働基準法、労災保険法上において取締役は同時に同一会社の労働者となり得ないものである。労働基準法は労働災害をば、企業に必要な工場、機械、器具その他の物的施設の破損等と同様に企業の遂行に当然随伴すべき危険であるとしこの災害補償の責任を企業の主体として使用者に帰せしめると共に公法上の義務に高めているのである。しかるに損害賠償の請求は被害者の労働者からその対立者たる使用者に対してなされる場合に、被害者と賠償者と同一人であるとするが如き場合は損害の賠償という観念は成立する余地がなく被害者自らの力を以てこれが損害の除去または軽減を計る外ない。労災保険法も労働基準法上の災害補償を企業者の共同出捐によつて右基準法上の災害補償責任をカバーするのであるからその本質上両者は何等異るところがない。したがつてこの場合、取締役は使用者たる株式会社の機関として賠償責任に立つものであるから、たとえ当該取締役が同会社の労働者と同様な作業に従事する場合であつても労災保険金を受けることはできない。いやしくも会社が取締役に選任した本人が一旦自らの意思で就任を承諾した以上たとい、執務上災害が惹起されたとしても当該会社自体がその補償責任を負担すべきである。そうでないと平常取締役は会社組織により利益に均霑しながら、不慮の事故に労災保険による給付を受けるが如きは信義に反するものといわなければならない。たとえばA・B・Cが共同出資により或る種の企業を経営する際不慮の事故でその何れか一人が災害を蒙るときはその企業自体で補償しなければならないのに、たまたまA・B・Cが共同出資をなし株式会社組織を設立していたときにはその一人が労災保険法上の補償をうけるとするが如きは彼是権衡を失し不公平なこととなるであらう。かかる場合には、取締役に選任した会社はその取締役の災害につき危険を負担すべきでありまたこれを以てたる。即ち、労災保険は一面労働者の保護に役立つのであるが他面思わざる災害発生のために一時巨額の支出を強いられる危険を使用者の共同出捐によつてカバーしようとするものでこの点こそ主要な制度目的であるといわねばならない。
本件において甚太郎は事故発生当時取締役たる地位にあつたので前記理由により保険審査官が労災保険の給付を認めなかつたのは正当であるから被告においても右不服の申立を認めなかつたのである。
三、仮りに原告主張のように労働基準法上の労働者の概念を実質的にみるのが相当であるとしても、甚太郎は名義のみの取締役でなく名実共に原告の取締役であつたのである。すなわち原告の定款第十九条によれば各取締役毎に分担を定めて各自これを執行することになつている。そして甚太郎が担当していた仕事は石油運輸部の総監督であり総指揮者であつた。監督の仕事は船の状態、風の方向等あらゆる面におよび、社長不在のときは自己において総指揮をなしていたものである。そして甚太郎の報酬も会社取締役の執行の対価として受給していたものであつて、労働者として受給していたものでない。又本件の如き台風時における船舶の避難作業は労働者にのみ担当せらるべきものでなく取締役も卒先陣頭に立つてなしうるのであるから甚太郎のなした作業を労働者としてなしたものとみることはできない。
次に原告の株主名簿によると総株数六万株、株主数二十四名、泥谷英吉は七千二百五十株、同新松六千三百株、同満恵四千五百株、甚太郎三千九百株であつてこれによつてみるも同族的企業経営によるもので名のみの取締役であるとみることはできない。」とのべた。(証拠省略)
理由
第一、本案前の抗弁について
被告は原告が本件訴訟につき訴の利益ありとするが何等本件行政処分について権利を侵害された者でないから本訴請求の原告たる適格を有しないと主張するので按ずるに、労働基準法第七十五条以下で定める災害補償は近代産業が組織上複雑化され生産工程において労働者に災害発生するときは使用者側に設備或は労務管理に過失があつたことを証明することが不可能に近く、かつ災害危険が著しく増大していることよりして一旦業務上災害が発生するや直ちに本人或は遺族に対して使用者より治療費家族救済費を補償すべく設けられたものである。従つて使用者は右補償が労災保険により手続上の瑕疵で(例えば不実の告知保険料の怠納その他の手続上の瑕疵)給付を受けられないときは労働基準法にもとづき災害補償をなすべき義務があるが、右労災保険法上の補償がなされたときはその給付の限度において使用者の補償をまぬがれる(労基法八四条、労働基準法八四条以下同じ)ものなるところ、本件原告の審査官に対する審査請求は原告において利害関係を有するものとしてこれをなしたところ審査官はこれを認めずとの決定をなしたのである。そして右保険審査官の決定に対し不服を申立てうるものは受給権者は勿論のこと右利害を有するものと解するを相当とする。そして本件は原告に対しなされた保険審査官の決定につき、被告に審査を請求し、これにつきなされた決定(行政処分)に対し本訴請求をなすものであるから当然本件行政処分の違法を争いうる訴訟上の利益を有するものである。よつて被告の右抗弁は理由がない。
第二、本案の請求について
一、原告の主張事実中その主張の日時に大阪基準局保険審査官において甚太郎の死亡による保険給付の請求を認めない旨の決定をなしたところ原告はこれを不服として同二十六年十一月二十六日審査の請求をなし被告において同二十八年一月三十日附その主張のように災害補償の保険給付を認めないとの決定をしたこと、及び、原告がその主張のような業務をなす会社で甚太郎がそれぞれ原告の監査役、取締役に就任し同二十五年九月三日ジヱーン台風下で業務に従事中死亡したことは被告において認めるところである。
被告は取締役が会社の業務を担当する場合は取締役の業務執行権の延長ないし補充と解すべきで、この場合たとい従前に労働者として会社との使用関係があつたとしても執行機関たる地位に就任するや否や従前の従属関係は遮断すると主張するので按ずるに改正前の商法(昭和二十五年法律第一六七号の改正前の商法―以下旧商法と称す)第二百六十一条によれば原則として取締役は各自会社を代表し特に定款或は株主総会で代表取締役又は数人の共同代表を定めない限り会社の業務を各自が執行しうることとなるところ、右の場合に業務執行権を有する取締役が同時に他方会社の労働者となつて使用従属関係に入るが如きは不可能の如きであるが、労基法又は労災保険法上の労働者とは労働関係の具体的実体的観点より考察を要求されるものであつていやしくも小企業体における会社にあつて主として労働に従事し取締役たる地位が単に名義上連ねているが如き場合においては右労基法上の適用をみてその就労関係につき保護を与え一旦災害発生したるときは直ちに企業体たる会社において、右労災保険法にもとづき救済をなすべきはその法の目的とするところである。したがつて右旧商法上の平取締役と雖もその業務執行権とは別に被傭者たる地位を有する場合ありと解するを相当とする。
二、被告は又使用者たる地位を有する取締役が同時に労働者たる地位を有するが如き場合は労基法、労災保険法上の損害補償という観念は成立する余地がないと主張するので按ずるに右両法にもとづく労働者とは労働関係上実体的にその目的とせられた制度により保護をうけるべき就労関係者と解すべきであつてこの場合の労働者が会社の個々の業務をなしうるは論ずるまでもなく、この就労関係において災害発生したときはその当該労働者はその災害発生損害補償という点において会社の機関たる他の取締役と対立関係になりうるのであつて旧商法上の取締役においても右関係は肯認しうるものである。まして小企業体の会社にあつて右の如き災害が発生した場合右両法にもとづき直ちに労働者又はその遺族に救済を与えるが如きは法の目的に合するものといわなければならぬ。尤も被告の如きA・B・Cの小人数による共同事業における場合は各自が救済を考慮しなければならないのを、たまたま小人数による法人たる企業体にある場合は平常はその企業主たる利潤に均霑しながら災害発生にのみ労働者として補償をうけるが如きは権衡を失すると主張するが、小人数による企業体たる法人にあつてその中の一人がたまたま形式上取締役にすぎないときは平常においても一労働者としてのみの取扱をうけ、実体上取締役としての取扱をうけていない場合をいうのであつてこの場合においては平常にあつては企業の経営者たる報酬を得ていないのであるから(あくまでこの場合も実体上労働者としての地位及びその報酬をうけているのみである)、たまたま災害が発生して補償をうけるに至つても何等権衡を失することとならない。
三、そこで本件について審按するに成立に争ない甲第四号証、同第八号証、乙第二乃至第五号証並に証人岡田松次郎同三浦正雄の各証言を綜合すれば甚太郎は昭和二十五年九月三日ジヱーン台風下原告会社の船を避難する業務に従事中、同船が沈没し死亡するに至つたこと、同人は原告会社がいまだ法人とならない以前同会社の代表者の養父泥谷英吉の経営する泥谷礦油店に入店し営々として働き、その後会社に変更されてからも依然として肉体労働に従事し、原告主張の如き日時にそれぞれ監査役から取締役へと就任するに至つたものであること、同人は小学校卒業のみであつて前示のように引続き肉体労働にのみ従事していたところから事務的な素養がなく且つ毎日従業員と同様出退時にタイムレコードを使い死亡するに至るまで現場監督として一般従業員と同様特別の報酬はなく月一万四千百円の俸給をうけていたこと、同会社は前示のような沿革上同族会社であつて主として六千三百株を有する泥谷新松が経営の実権を握り右新松の養父英吉が七千二百五十株、同満恵が四千五百株、甚太郎が三千九百株を有しそして同人が名義上の取締役の地位を有していたことをそれぞれ認めることができる。乙第一号証によれば甚太郎は保険審査会の聴取書として甚太郎の仕事は事務所にいるのが主であつて社長のいないときは甚太郎が指揮をしていたとの記載があるが、前顕証人岡田松太郎、同三浦正雄の証言により「甚太郎は倉庫課の現場の仕事として指揮をしていたものであり且つ殆んど事務所にいなかつた」ことを認められることと対比して右記載内容はたやすく措信することができない。
その他右認定を左右する証拠はない。
そうすると、右認定の下においては甚太郎は取締役と同時に被傭人たる現場監督の業務に従事し死亡の当時旧商法施行下(新商法は昭和二十六年七月一日より実施)に平取締役として前示のとおり業務上死亡するに至つたものであるから労災保険法上の給付をその遺族において受ける資格を有するものといわなければならぬ。はたして然らば被告が原告に対しなした労災保険法上の補償金を支給しない旨の決定は違法としてこれを取消すべきであるから原告の本訴請求を認容し訴訟費用の負担につき行政事件訴訟特例法第一条、民事訴訟法第八十九条第九十五条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 乾久治 松本保三 井上孝一)